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日本人の労働観
今回から4回に渡り「日本人の労働観」について皆さんと考えて行きたいと思います。
私自身様々な会社で、今まで、人事・賃金制度を導入してきたわけですが、どうも、日本の企業には日本の風土にふさわしい人事制度でないと結局長く続かないのだということです。
それは、例えばイタリアに行ったときに、はじめはイタリア料理が好きで食べていても、一週間もすると日本食が恋しくなるようなもので、日本人は日本人らしい労働観にあった人事制度を導入しなければならないという結論に達するのです。
それは、日本人の連綿と続いてきた労働観として、DNAがそうさせるのかもしれません。
日本社会が成果主義や実力主義、リストラ、テンポラリースタッフ等欧米の手法を似て導入するというのは悪いことだと思いませんし、私自身も様々な会社で推奨している向きもあります。
しかし、欧米の実力主義、弱肉強食の世界をそのまま鵜呑みにして導入してしまうのは良くありません。
なぜなら、日本と欧米、特にアメリカとの違いはその文化、特に宗教の違いがあるのです。
「神様を信じるか」という質問にアメリカ国民は実に95%が信じるといっています。
一方日本人は44%です。
アメリカ建国の時代、ウィンスロップという人物による「キリスト教的慈愛の模範」という演説の中で「丘の上の町」を目指すという説話がある。
これは、キリスト教国として他の模範となるような国を目指すという意味であり、アメリカの「自由主義民主主義を全世界に広めることが我々の信条」という考え方がそこにはあります。
それではアメリカの労働観とは何か?
それは、キリスト教の「労働罪悪説」という考えがそこにあるのです。
西洋文明の発達した近代とは神を否定した時代でもあります。
しかし、神を否定するということは天国(ユートピア=トーマス・モアのユートピア論)へ行けなくなってしまった時代なのです。地獄へ落ちる恐怖が無くなったと同時に近代は神への挑戦として地上に天国を作ることが求められたのです。
つまり神の国、労働しない国を地上に作るために機械、科学文明を発達させてきたのです。
労働苦痛説というのはユダヤ教からキリスト教に伝わったものです。
これは砂漠の宗教であり、当時のユダヤ人が奴隷身分であったためでもあります。
東洋の宗教観とは別のものですね。
東洋人の労働観は中国の陶淵明の「桃花源記」の中に労働に対する考え方が紹介されています。
それは「自然に逆らわない労働が楽園の条件。つまり、自然で自由な労働には苦痛が無い。」
これをみても分かるように欧米の伝統である労働苦痛説と東洋的な理想、自然の中に労働を楽しむ牧歌的な理想とは全く違うのです。
中国の荘子(そうし)は下記のような逸話を紹介しています。
孔子の弟子、子貢は旅の途中、井戸から水を汲み上げて畑に撒いている老人に会う。
子貢は、はねつるべを用いたらよいと語りかける。
それを聞いて、怒った老人のいう言葉は次のようなものだった。
「機械ある者は必ず機事あり、機事ある者は必ず機心あり。機心、胸中に存すれば、則ち純白備わらず。・・・・・・吾は知らざるに非ざるも、羞じて為さざるなりと。」
これは、機械を使う心を持ってしまえば人間本来の素朴さや純真な心を失ってしまう。
だから私は機械を知っていてもそれを使うことが無いということです。
これこそが、日本人である我々が取り戻さなければならない哲学ではないでしょうか?
極論になりますが、IT社会の究極は人間が不要になることです。
しかし「なぜ人間は生まれてきたのだろうか?」この言葉はIT社会でも答えることができない命題です。
この解答を見つけるためにあるのが労働ではないでしょうか?

