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法律に違反しなければ悪くない?
一般的に私たちは、法律に違反することは悪いこと、法律に違反しないことは悪くないこと、と考えているようです。だからコピーをしようと思うと、著作権法がどうなっているか、という点が気になります。著作権法では、著作権という権利を定めていて、著作物を勝手に複製してはいけない、と言っています。となると、自分がコピーをしたいと思うものが著作物であるのかどうか、という点が重要です。
著作物には複製権(著作権)があるからコピーできない。著作物でないものには複製権はないのだからOK。では著作物とは何か、と言えば、それは「思想感情を創作的に表現したもの」なのです。思想感情を含まない情報とか、他人でも思いつきそうなありふれた表現、といったものは著作物ではない。だから、著作物でないなら、それをコピーしてもいいじゃないか、とこういうふうに考えてゆきますね。
ところでこんな事例があります。タレントの綾小路きみまろさんが、以前に川柳パクリ疑惑で叩かれたことがありました。ご本人は、川柳をネタに使うことは業界の慣習として問題がないと聞かされていて、出版側の法務担当者も問題なしと判断したそうです。そして実際にパクリ疑惑というタイトルで週刊誌に叩かれて謝罪記者会見となったわけですが、そこでは著作権侵害という言葉は使われないのですね。でも「パクリ」という言葉で非難されました。叩く側も、著作権侵害だと言って叩くと著作権法の解釈論に陥ってしまうと思ったのでしょうか。
たしかに川柳が著作物であるかどうかは微妙なところだと思います。いかに面白い川柳であっても、面白いことがすなわち著作物の創作性の評価につながるわけではありません。創作性とは作者特有の個性みたいなものです。面白い川柳であっても、五七五の短いつづりの中で創作性を生み出すのはなかなか難しいもの。面白い川柳であっても、多くのものが著作物ではないという判断がされてしまうでしょう。
しかしそれは著作権法の話。世間でパクリと言えば、なんとなく「悪いこと」というイメージがあって、パクリという言葉で片付けられてしまえば綾小路さんは謝罪をするしかないのですね。ところで、パクリと言う言葉はいつから使われているのでしょう。パクリとはつまり、真似るということですね。私たちは真似るということをしないで人生を過ごすことができるでしょうか。
そもそも学習する、学ぶということは、要するに真似ることであって、パクリと言う言葉と本質的には同じ意味だと思うわけですが、世間にとっての印象がかなり違うわけです。真似ならいいけどパクリはだめ。あいつはパクったんだ。だから悪いヤツだ。と、こういうふうな展開で叩かれてしまう。結局のところ、著作権法の解釈がどうだこうだということは、この場合、あまり意味がないのです。
このケースを見ると、著作権を侵害していなくても「悪い人」という扱いを受けてしまうことがあるということです。著作権法が<コピーしていいかどうか>を決めてくれると思ったら、実はそうではない、ということなんです。これは法律と世間感覚のズレという見方もできるますが、いまひとつ重要なことは、法律的な部分でひとつ見過ごしがちなところがあります。それは、著作権を侵害しないパクリ(複製)であっても、損害賠償を裁判所から命じられるケースがあるということです。
このことが理解しにくい方は多いと思うのですが、それは著作権侵害というものが実は不法行為の一種でしかないのだという発想がないからでしょう。「木を見て森を見ず」という言葉がありますが、著作権法は「木」であって、「森」にあたる民法や法学みたいな基礎的分野は日常生活に関係がないものだと思われる傾向があります。
そういう感覚がいまだに残っていると言うのは、日本人が法のあり方について重大な錯誤に陥っているということの象徴だと思うのですが、次に、さきほど言いました「不法行為」について考えて見ましょう。不法行為というのは、社会人である以上は知っておかなければならないほど重要なテーマなのですが、これを理解しないで著作権だけ覚えても、結局は何もわかっていないということになってしまいます。

